母の好きな事

私の母は、昔の趣味は洋裁です。
子供の頃は、よく洋服を作ってもらっていました。
私は、ワンピースが好きでしたので、学校に行くほとんどの服は、ワンピースでしたね。
夏の服は、ほとんどが母の力作?でした。
たくさんありましたから、夏服は衣装持ちでした。

特に、スカートがふわっとした物が好みでしたから、デザイン的には、良く似たものが多かった記憶です。
大人になって考えてみると、子供の夏服は、お出かけ着以外は、あまり裏地がついていなかったような気がします。
しっかりした綿の物が、ほとんどでした。
冬服は、夏服に比べると、数はずっと少なかったです。
冬服は、夏服に比べると、かなり手間がかかりますからね。
それでも、根気よく作ってくれていました。
しかし、育ち盛りの時は、来年も着るという事はなかったです。

母が作っていたのも、私が小学校の頃だけでした。
中学になると、母のお手製の服は全くなくなりました。
母曰く、既製服の方がいいと思う年頃だから、無理して着せることはないという考えだったようです。
母の考えていた通り、私は、既製服の方がステキに思い始めていた時期でした。
ただ、洋裁好きの母は、パジャマや寒い時に着る綿入れのチャンチャンコは、作っていました。
私は、パジャマさえも既製のものが欲しくなっていました。
今考えれば、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

その後、高校になると一切、母は手作りをしなくなりました。
その頃は、家庭科で作らなければならない物を、手直ししてくれていました。(;一_一) 
私は、家庭科が、苦手でしたので、随分と母に助けてもらいました。
その後、母は、自分の服も作ることはなくなり、知り合いの人に、作ってもらっていたようです。

私は、結婚して2年あまり機械編みの教室に通い、母のスーツやセーターなど、プレゼントしましたよ。
凄く喜んでくれましたから、その時に恩返しできたかな。
母は、孫が出来てから、俄然張り切りだしました。

それも、今度は和裁です。
子供の小さな着物、ほとんどが母作です。
和裁は、我流だと言っていましたが、すばらしい出来でした。
母には、いつまでも洋裁をやっていて欲しいと思っていますが、この頃は、ミシンを使う事もなくなり、もっぱら手縫いです。

見ていると、凄く寂しいです。